七代目 片岡仁左衛門(しちだいめ かたおか にざえもん、宝暦5年〈1755年〉 - 天保8年3月1日〈1837年4月5日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけての歌舞伎役者。屋号は松嶋屋、俳名は我童・萬麿・梅里。定紋は七つ割丸に二引。雅号を南麗舎と称した。京の生まれで初代淺尾國五郎の弟。二代目中村十藏の門人となって中村松助と名乗り子供芝居に出る。安永6年(1776年)春、初代浅尾為十郎の門人となり、二代目淺尾國五郎を襲名。一時期、師匠爲十郎から破門され山澤國五郎と名乗ったこともあったがその後許され、京大坂の舞台で活躍する。天明8年(1788年)2月、大坂の叶......
七代目 片岡仁左衛門(しちだいめ かたおか にざえもん、宝暦5年〈1755年〉 - 天保8年3月1日〈1837年4月5日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけての歌舞伎役者。屋号は松嶋屋、俳名は我童・萬麿・梅里。定紋は七つ割丸に二引。雅号を南麗舎と称した。京の生まれで初代淺尾國五郎の弟。二代目中村十藏の門人となって中村松助と名乗り子供芝居に出る。安永6年(1776年)春、初代浅尾為......