三代目 市川團十郎(さんだいめ いちかわ だんじゅうろう、享保6年(1721年) - 寛保2年2月27日(1742年4月2日))は享保期の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。享保6年 生まれ。父は初代團十郎の高弟初代三升屋助十郎。幼名助太郎。同10年 、五歳で二代目團十郎の養子となり、同12年 、初舞台。初名市川升五郎。享保20年 、養父二代目の隠居にともない、三代目市川團十郎を襲名。将来を嘱望されていたが、寛保元年 、旅先の大坂で発病し、翌年のはじめに22歳で病死した。
三代目 市川團十郎(さんだいめ いちかわ だんじゅうろう、享保6年(1721年) - 寛保2年2月27日(1742年4月2日))は享保期の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。享保6年 生まれ。父は初代團十郎の高弟初代三升屋助十郎。幼名助太郎。同10年 、五歳で二代目團十郎の養子となり、同12年 、初舞台。初名市川升五郎。享保20年 、養父二代目の隠居にともない......