画像引用元: upload.wikimedia.orgE・W・ホーナング
アーネスト・ウィリアム・ホーナング(E. W. Hornung、1866年6月7日 - 1921年3月22日)は、イギリスの小説家、詩人であり、19世紀後半のロンドンを舞台とする怪盗A・J・ラッフルズのシリーズ本を出したことで知られている。ホーナングはアッピンガム・スクールで教育を受けた。健康状態が悪かったために1883年12月に学校を離れ、シドニーに旅して2年間滞在した。このオーストラリアでの体験を元にして、まず短編小説、後に中長編小説の執筆を始めた。1898年、『犯罪の鎖で』を著し、ラッフルズとその相棒のバニー・マンダースを導入した。その登場人物の造形は友人である作家オスカー・ワイルドやその同性の愛人で作家アルフレッド・ダグラスに一部が拠っており、またシャーロック・ホームズとワトソン博士の影響も受けている。ラッフルズの短編シリーズは1899年に一冊にまとめられて販売され、さらに2冊のラッフルズ短編集が続いた。その後小説も出したが、あまり受けはよくなかった。ホーナングはラッフルズのシリーズ以外にも多作な作家であり、1890年の『藪から現れた花嫁』から1914年の『犯罪博士』まで多くの著作を出版した。第一次世界大戦のためにホーナングの創作活動が止まった。息子のオスカーが1915年7月の第二次イーペルの戦いで戦死した。ホーナングはまずイングランドで、その後フランスでYMCAの活動に加わり、食堂と図書館の運営を助けた。戦中に詩集2巻を出版し、戦後にさらに詩とフランスで過ごした時代の回想録『西部戦線のキャンプフォロワーの記録』を合わせた本を出した。ホーナングの壊れやすい体質は戦時の労働のストレスによって、さらに悪くなった。健康を快復するためにホーナングとその妻は1921年に南フランスを訪れた。その道中でインフルエンザに罹り、1921年3月22日に死んだ。54歳だった。ホーナングの作品の多くがそれほど評価されていないが、ラッフルズのシリーズは人気を保ち続け、多くの映画やテレビ映画に翻案された。ホーナングのストーリーは犯罪よりも広い範囲のテーマを扱っている。科学と医学の発展、犯罪行為、階級と社会における女性による不平等な役割を検証した。その著作のかなりの部分を占めている2つの糸はオーストラリアとクリケットである。クリケットについてはホーナングが生涯愛好したものである。
