黄 彭年(こう ほうねん、''Huang Pengnian''、1824年 - 1890年)。字は子寿、号は陶楼または更生。清の官僚。貴州省貴築(現在の貴陽市)出身。黄輔辰の子。1847年に進士となり、庶吉士、編修となる。1851年、父に従って団練を率いてミャオ族などの民衆蜂起軍と戦った。のちに四川総督駱秉章の幕下に入り、太平天国の石達開軍と戦って功績をあげた。その後陝西巡撫劉蓉の招きで関中書院の主講となった。そして李鴻章から『畿輔通志』の編纂に招かれ、保定の蓮池書院の主講となった。1882年、湖北按察使となり、さらに陝西按察使・陝西布政使代理に異動になっ......
黄 彭年(こう ほうねん、''Huang Pengnian''、1824年 - 1890年)。字は子寿、号は陶楼または更生。清の官僚。貴州省貴築(現在の貴陽市)出身。黄輔辰の子。1847年に進士となり、庶吉士、編修となる。1851年、父に従って団練を率いてミャオ族などの民衆蜂起軍と戦った。のちに四川総督駱秉章の幕下に入り、太平天国の石達開軍と戦って功績をあげた。その後陝西巡撫劉蓉......