麴 文泰(きく ぶんたい、? - 640年、在位624年 - 640年)は、高昌国の王。麴伯雅の子。母は宇文氏の華容公主。630年、唐に入朝した。その後、西突厥と同盟して、伊吾国を攻撃した。また唐と西域の間の通商路を遮断した。唐の太宗は文泰に入朝を求めたが、文泰は病と称して赴かなかった。そこで太宗は、高昌国に対して侯君集・薛万均らの討伐軍を派遣した。麴文泰は唐軍がやってくると聞いて、:「唐国はここから7千里、砂漠で2千里を隔てており、地に水草は無く、冬の風は凍えるように寒く、夏の風は焼けるように暑い。砂漠の風の吹くところ、行く者の多くは死に、100人でもた......
麴 文泰(きく ぶんたい、? - 640年、在位624年 - 640年)は、高昌国の王。麴伯雅の子。母は宇文氏の華容公主。630年、唐に入朝した。その後、西突厥と同盟して、伊吾国を攻撃した。また唐と西域の間の通商路を遮断した。唐の太宗は文泰に入朝を求めたが、文泰は病と称して赴かなかった。そこで太宗は、高昌国に対して侯君集・薛万均らの討伐軍を派遣した。麴文泰は唐軍がやってくると聞い......