鹿子木 親員(かのこぎ ちかがず、?-天文 (日本)|天文18年3月3日 (旧暦)|3月3日(1549年3月31日))は、戦国時代 (日本)|戦国時代の肥後国の武将。寂心(じゃくしん)の法号で知られ、隈本城(後の熊本城)の築城者とされる。鹿子木荘の地頭を務めた中原氏の子孫とされる。守護菊池氏に従い、飽田郡・託麻郡に勢力を伸ばす。永正13年(1516年)に阿蘇山と英彦山の衆徒同士の紛争の仲介役にあたる。大友氏から入嗣した菊池義武の時代に家老の地位にあったが、義武が実兄大友義鑑と対立した天文5年(1536年)頃に離反して大友氏とともに義武やこれを支援する相良氏......
鹿子木 親員(かのこぎ ちかがず、?-天文 (日本)|天文18年3月3日 (旧暦)|3月3日(1549年3月31日))は、戦国時代 (日本)|戦国時代の肥後国の武将。寂心(じゃくしん)の法号で知られ、隈本城(後の熊本城)の築城者とされる。鹿子木荘の地頭を務めた中原氏の子孫とされる。守護菊池氏に従い、飽田郡・託麻郡に勢力を伸ばす。永正13年(1516年)に阿蘇山と英彦山の衆徒同士の......