鳴滝 忠五郎(なるたき ちゅうごろう、1782年〈天明2年〉 - 1818年3月19日〈文化15年2月13日〉)は、滝登部屋(松江相撲),佐渡ヶ嶽部屋及び関ノ戸部屋に所属した元力士。本名は石田。身長175cm、体重120kg。出雲国大原郡(現在の島根県雲南市)出身に優勝相当成績をさらわれた。それでも1817年1月場所で6勝1敗1休1分1無の成績を挙げ、悲願の優勝相当成績の栄誉に輝いた。翌1817年10月場所では、6勝1敗2休1分との成績を挙げるも、6勝1敗2休1預の成績を挙げた柏戸にまたしても優勝相当成績をさらわれた。柏戸に優勝相当成績をさらわれること5回......
鳴滝 忠五郎(なるたき ちゅうごろう、1782年〈天明2年〉 - 1818年3月19日〈文化15年2月13日〉)は、滝登部屋(松江相撲),佐渡ヶ嶽部屋及び関ノ戸部屋に所属した元力士。本名は石田。身長175cm、体重120kg。出雲国大原郡(現在の島根県雲南市)出身に優勝相当成績をさらわれた。それでも1817年1月場所で6勝1敗1休1分1無の成績を挙げ、悲願の優勝相当成績の栄誉に輝......