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鳴滝忠五郎

推定知名度0.01%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

鳴滝 忠五郎(なるたき ちゅうごろう、1782年〈天明2年〉 - 1818年3月19日〈文化15年2月13日〉)は、滝登部屋(松江相撲),佐渡ヶ嶽部屋及び関ノ戸部屋に所属した元力士。本名は石田。身長175cm、体重120kg。出雲国大原郡(現在の島根県雲南市)出身に優勝相当成績をさらわれた。それでも1817年1月場所で6勝1敗1休1分1無の成績を挙げ、悲願の優勝相当成績の栄誉に輝いた。翌1817年10月場所では、6勝1敗2休1分との成績を挙げるも、6勝1敗2休1預の成績を挙げた柏戸にまたしても優勝相当成績をさらわれた。柏戸に優勝相当成績をさらわれること5回、成績上では大関になってもおかしくなかったが関脇止まりに終わり、1818年2月13日に現役中のまま病気で死去した。37歳だった。幕内通算 8場所 45勝11敗5分1無18休の成績を残した。優勝相当成績2回(幕内1回〈1817年1月場所〉、十両1回〈1809年2月場所〉)。改名歴は1回:御所ノ浦 忠五郎 → 鳴滝 忠五郎。また相撲史上少ない島根県出身の力士としては、初めて関脇に昇進した力士でもある。

過去の推移