鮑超(ほう ちょう、''Bao Chao''、1828年 ‐ 1886年)、字は春霆は、清末の湘軍の指揮官。四川省奉節県出身。1852年、広西提督向栄が湖北省宜昌で兵を募って「川勇営」を組織したときに参加した。勇猛でしばしば戦功を立てたため、曽国藩に目をかけられ、副将に昇進した。その活躍ぶりはドロンガ(多隆阿)とともに「北多南超」と賞賛された。1856年に胡林翼から自分の部隊を持つことを認められ、長沙で1万5千の兵を集めて「霆字営」を組織した。安徽省南部に駐屯し、1860年に祁門にある湘軍の司令部の守備にあたって、太平天国軍の包囲を撃退し、大いに恐れられた......
鮑超(ほう ちょう、''Bao Chao''、1828年 ‐ 1886年)、字は春霆は、清末の湘軍の指揮官。四川省奉節県出身。1852年、広西提督向栄が湖北省宜昌で兵を募って「川勇営」を組織したときに参加した。勇猛でしばしば戦功を立てたため、曽国藩に目をかけられ、副将に昇進した。その活躍ぶりはドロンガ(多隆阿)とともに「北多南超」と賞賛された。1856年に胡林翼から自分の部隊を持......