魚住 折蘆(うおずみ せつろ、1883年1月27日 - 1910年12月9日)は、明治時代の評論家。本名は彰雄(あきお)。兵庫県加古川市出身。東京帝国大学文学部哲学科卒。1906年9月独文科に入学するが、同年10月哲学科に転科。卒業後、大学院に進学。友人・藤村操が、1903年5月日光華厳滝に投身自殺した1年後、「一高校友会雑誌」に「自殺論」を寄稿し、今日の人間にとって、国是国策の君でも家でもなく、自我こそが問題なのだと論じて話題になる。大学では、ラファエル・フォン・ケーベルに師事、のち夏目漱石の門下となり、宮崎八百吉、綱島梁川、西田天香のような宗教家たちと......
魚住 折蘆(うおずみ せつろ、1883年1月27日 - 1910年12月9日)は、明治時代の評論家。本名は彰雄(あきお)。兵庫県加古川市出身。東京帝国大学文学部哲学科卒。1906年9月独文科に入学するが、同年10月哲学科に転科。卒業後、大学院に進学。友人・藤村操が、1903年5月日光華厳滝に投身自殺した1年後、「一高校友会雑誌」に「自殺論」を寄稿し、今日の人間にとって、国是国策の......