高辻 福長(たかつじ とみなが)は江戸時代後期の公家。明和7年(1770年)に後桜町天皇が後桃園天皇に譲位して上皇となると、文化10年(1813年)に上皇が崩御するまで院伺候衆として上皇の側に仕えた。寛政元年(1789年)2月2日、従三位に叙されて公卿に列せられる。文政2年(1819年)1月5日に59歳で死去。
高辻 福長(たかつじ とみなが)は江戸時代後期の公家。明和7年(1770年)に後桜町天皇が後桃園天皇に譲位して上皇となると、文化10年(1813年)に上皇が崩御するまで院伺候衆として上皇の側に仕えた。寛政元年(1789年)2月2日、従三位に叙されて公卿に列せられる。文政2年(1819年)1月5日に59歳で死去。