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高畠藍泉

推定知名度0.28%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

高畠 藍泉(たかばたけ らんせん、天保9年5月12日(1838年7月3日) - 明治18年(1885年)11月18日)は、ジャーナリスト、小説家で、江戸戯作者世代と新時代の間の明治10年代に大家として重きを成し、三世柳亭種彦を名乗った。「明治最初の文壇小説家」とも言われる。幼名瓶三郎、家督相続後は求徳、のちに政(ただす)。別号として、藍泉、一葉舎、甘々坊、甘阿、凹得、紫翠山房など。戯号に転思堂、転々堂、転々堂藍泉、愛雀軒、足薪翁。晩年には聴香楼主人がある。画、茶、俳諧、演劇に詳しく、柳亭種彦に私淑して、それに倣った文体で活躍した。明治維新後、社友あるいは記者として、また「柳亭派の頭目」たる戯作者として、「平仮名絵入」「読売」「芳譚雑誌」「絵入朝野」「東京絵入」「歌舞伎新報」などで活動し、明治10年代の代表的作家とみなされるまでになった。明治10年(1877年)には日本初の夕刊紙「東京毎夕」を創刊している。出世作は明治12年(1879年)刊の「巷説児手柏(こうせつこのてがしわ)」。「蝶鳥筑波裾模様(ちょうとりつくばのすそもよう)」のようにいささか古風な仇討ちものも執筆している。

過去の推移