高田 吉次(たかた よしつぐ、1590年(天正18年) - 1671年3月4日(寛文11年1月23日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士、槍術家。宝蔵院流高田派槍術の祖。小倉藩士。名字は高田、通称は又兵衛。号は祟白。高田吉春の子。赤穂事件に関与した高田郡兵衛は孫に当たる。
高田 吉次(たかた よしつぐ、1590年(天正18年) - 1671年3月4日(寛文11年1月23日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士、槍術家。宝蔵院流高田派槍術の祖。小倉藩士。名字は高田、通称は又兵衛。号は祟白。高田吉春の子。赤穂事件に関与した高田郡兵衛は孫に当たる。