高島 益郎(たかしま ますお、1919年10月6日 - 1988年5月2日)とは最高裁判所判事、外交官(駐ソ連大使等)。宮城県出身。1941年に外務省に入省。1942年に陸軍に召集され、主計少尉となる。北朝鮮で捕虜となりシベリア抑留。極寒のため凍傷となり、足の小指を失った。後にこの時をふりかえり「ソ連の体制は嫌いだが、ロシア人は愛すべき国民」と語る。復員後は外交官としてオーストラリア、香港に勤務。外務省条約局長として日中国交正常化交渉にあたる。後に外務事務次官、駐ソ連大使を歴任した。1984年12月に最高裁判所判事となる。1988年5月に在任中に死去。
高島 益郎(たかしま ますお、1919年10月6日 - 1988年5月2日)とは最高裁判所判事、外交官(駐ソ連大使等)。宮城県出身。1941年に外務省に入省。1942年に陸軍に召集され、主計少尉となる。北朝鮮で捕虜となりシベリア抑留。極寒のため凍傷となり、足の小指を失った。後にこの時をふりかえり「ソ連の体制は嫌いだが、ロシア人は愛すべき国民」と語る。復員後は外交官としてオーストラ......