高山 紀齋(たかやま きさい、嘉永3年12月12日(1851年1月13日) - 昭和8年(1933年2月5日))は明治時代の歯科医。東京歯科大学の前身高山歯科医学院を設立した。備前国岡山藩(現・岡山県岡山市)出身。幼名は彌太郎。家老日置家の家臣・高山紀次の長男。母は清子。叔父の磯田郡次兵衛由道(鴨方藩士・藩主傅役)に素読を授けられ儒教を学ぶ。1868年から翌年にかけて戊辰戦争に従軍。神戸事件では備前藩兵の一員であった。1870年上京して慶應義塾に入塾し英学を修めると、1872年にアメリカに渡り歯科医学を学んだ。1878年に帰国した後、東京市京橋区銀座(現・......
高山 紀齋(たかやま きさい、嘉永3年12月12日(1851年1月13日) - 昭和8年(1933年2月5日))は明治時代の歯科医。東京歯科大学の前身高山歯科医学院を設立した。備前国岡山藩(現・岡山県岡山市)出身。幼名は彌太郎。家老日置家の家臣・高山紀次の長男。母は清子。叔父の磯田郡次兵衛由道(鴨方藩士・藩主傅役)に素読を授けられ儒教を学ぶ。1868年から翌年にかけて戊辰戦争に従......