馬越 三郎(まごし さぶろう、嘉永元年(1848年)頃? - 明治20年(1887年)頃?)は、新選組隊士。美男五人衆の一人。阿波国徳島藩出身で、文久3年(1863年)に入隊したとされる。野口健司の葬儀の際に、武田観柳斎とともに頼越人を務めた。子母澤寛著『新選組物語』には、男色家の観柳斎に惚れられて迷惑し、副長・土方歳三に訴えて脱退が認められたとの話が残るが、これは子母澤の創作ともいわれる。同書によれば、隊務が無い時はおしゃれな恰好をして出かけ、笑うと両頬にえくぼができ、笑う時も怒る時もまるで若い女のようだったらしい。明治20年(1887年)頃に壬生を訪れ......
馬越 三郎(まごし さぶろう、嘉永元年(1848年)頃? - 明治20年(1887年)頃?)は、新選組隊士。美男五人衆の一人。阿波国徳島藩出身で、文久3年(1863年)に入隊したとされる。野口健司の葬儀の際に、武田観柳斎とともに頼越人を務めた。子母澤寛著『新選組物語』には、男色家の観柳斎に惚れられて迷惑し、副長・土方歳三に訴えて脱退が認められたとの話が残るが、これは子母澤の創作と......