飯田 政良(いいだ まさよし、筆名は青涼、せいりょう、生没年不明)は小説家である。夏目漱石の紹介で徳田秋声と合作名義で大阪朝日新聞に『女の夢』を連載した。飯田は明治42年1月、坪内逍遥の紹介状を持ち漱石のもとを訪れ、自作の小説を持参し発表の場の紹介を依頼した。飯田の小説を読み、漱石は春陽堂の本田嘯月に「読物として価値あるもの」と書いて紹介し、青涼の小説『町の湯』は明治42年10月「新小説」に掲載された。その後も生活に窮した青涼の相談にのった漱石は、当時代作について問題視されることがなかったこともあり、代作者を使って、地方の新聞に多くの小説を発表していた徳田......
飯田 政良(いいだ まさよし、筆名は青涼、せいりょう、生没年不明)は小説家である。夏目漱石の紹介で徳田秋声と合作名義で大阪朝日新聞に『女の夢』を連載した。飯田は明治42年1月、坪内逍遥の紹介状を持ち漱石のもとを訪れ、自作の小説を持参し発表の場の紹介を依頼した。飯田の小説を読み、漱石は春陽堂の本田嘯月に「読物として価値あるもの」と書いて紹介し、青涼の小説『町の湯』は明治42年10月......