顕弁(けんべん、文永6年(1269年) - 元弘元年4月24日(1331年5月31日)は、鎌倉時代後期の天台宗の僧。金沢流北条氏北条顕時の長男。母は未詳。執権北条貞顕は異母弟。実相院静誉の元で育ち、弘安3年(1280年)12歳の時隆弁に入門、隆弁が没するまで7年師事し、隆弁没後静誉の元に戻る。永仁元年(1293年)、25歳にして園城寺唐院で灌頂を受ける。文保2年(1318年)、園城寺別当に任ぜられる。元応2年(1320年)に別当を辞任。鎌倉に戻り、右大将法華堂別當に就任。元亨2年(1322年)鶴岡若宮の別当となり大僧正に昇り、嘉暦2年(1327年)には園城......
顕弁(けんべん、文永6年(1269年) - 元弘元年4月24日(1331年5月31日)は、鎌倉時代後期の天台宗の僧。金沢流北条氏北条顕時の長男。母は未詳。執権北条貞顕は異母弟。実相院静誉の元で育ち、弘安3年(1280年)12歳の時隆弁に入門、隆弁が没するまで7年師事し、隆弁没後静誉の元に戻る。永仁元年(1293年)、25歳にして園城寺唐院で灌頂を受ける。文保2年(1318年)、園......