画像引用元: upload.wikimedia.org顕子女王
推定知名度19.79%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
顕子女王(あきこじょおう、寛永17年2月13日(1640年4月4日)- 延宝4年8月5日(1676年9月12日))は、江戸幕府第4代将軍徳川家綱の御台所(正室)。伏見宮貞清親王の第三王女。幼称は浅宮(あさのみや)。法名は高巌院(こうげんいん)。後に第8代将軍となる徳川吉宗がまだ紀州藩第5代藩主だったころに御簾中に迎えた理子女王の伯母にあたる。明暦3年(1657年)に家綱と婚姻して江戸城西御丸へ入り。万治2年(1659年)9月5日に本丸大奥に入り御台所を称した。延宝元年(1673年)従三位。延宝4年(1676年)に乳癌を発症、医師による触診を拒否し、同年8月5日に37歳で薨去。東叡山寛永寺に葬られる。戒名は高巌院贈正二位潤円真大姉。家綱との間に子はなかった。延宝5年(1677年)8月2日、従一位が追贈された。
過去の推移
–06
–07
19.0808
19.3309
19.7610
19.8911
19.8312
19.7913
19.814
19.7915
19.7916
