須田頼隆(すだ よりたか、生年不詳 - 天正18年4月24日(1590年5月27日))は、陸奥の戦国武将。二階堂氏の家臣。佐渡守。二階堂照行・二階堂盛義父子に仕えた。当初、本丸館(富岡館)を居城として安積郡富岡(福島県郡山市三穂田町富岡)を所領として富岡佐渡守とも号したが、天文20年(1551年)に笹川城に移り天正18年(1590年)まで安積郡笹川(福島県郡山市安積町笹川)を所領とした。『地誌・岩代国安積郡笹川村』によれば、天正18年4月24日に亡くなり、法名は元寿院殿泰岳真公とある。一方、笹川城主須田氏は天正16年(1588年)頃より伊達政宗に臣従したよ......
須田頼隆(すだ よりたか、生年不詳 - 天正18年4月24日(1590年5月27日))は、陸奥の戦国武将。二階堂氏の家臣。佐渡守。二階堂照行・二階堂盛義父子に仕えた。当初、本丸館(富岡館)を居城として安積郡富岡(福島県郡山市三穂田町富岡)を所領として富岡佐渡守とも号したが、天文20年(1551年)に笹川城に移り天正18年(1590年)まで安積郡笹川(福島県郡山市安積町笹川)を所領......