韋荘(い そう、836年 - 910年)は、中国・唐の詩人。京府杜陵(陝西省西安市の南郊)出身。字は端己(たんき)。韋見素からの孫。何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第、校書郎となった。当時、四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の屋敷にしたという。今、『浣花集』10巻及び同書を増補し......
韋荘(い そう、836年 - 910年)は、中国・唐の詩人。京府杜陵(陝西省西安市の南郊)出身。字は端己(たんき)。韋見素からの孫。何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第、校書郎となった。当時、四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力......