韋 康(い こう、? - 212年?)は、中国後漢末期の人物。字は元将。司隷京兆郡(陝西省西安の西)の人。父は韋端。弟は韋誕。『三国志』魏志「荀彧伝」注などに記録がある。曹操軍の荀彧の推挙を受けて世に出た人材の一人であるという。孔融は、韋康・韋誕兄弟と会った時の印象を手紙で父の韋端に伝えていた。それによると、韋康のことを「底知れぬ才能が輝き渡り、度量大きく、意志強く世に優れた人材」と賞し、また兄弟合わせて「ドブ貝からとれた二つの真珠」と称えたという。父が涼州牧から召されて太僕になると、代わって涼州刺史となった。楊阜を別駕に採り立て重用し、後に楊阜が中央に召......
韋 康(い こう、? - 212年?)は、中国後漢末期の人物。字は元将。司隷京兆郡(陝西省西安の西)の人。父は韋端。弟は韋誕。『三国志』魏志「荀彧伝」注などに記録がある。曹操軍の荀彧の推挙を受けて世に出た人材の一人であるという。孔融は、韋康・韋誕兄弟と会った時の印象を手紙で父の韋端に伝えていた。それによると、韋康のことを「底知れぬ才能が輝き渡り、度量大きく、意志強く世に優れた人材......