青山脳病院(あおやまのうびょういん)は、かつて東京・青山にあった精神病院(当時の呼称で「脳病院」)である。1907年(明治40年)に開院すると「ローマ式建築」の威容が地元の名物となり、また、昭和時代には医師で歌人の斎藤茂吉が院長を務めていたことでも知られる。
青山脳病院(あおやまのうびょういん)は、かつて東京・青山にあった精神病院(当時の呼称で「脳病院」)である。1907年(明治40年)に開院すると「ローマ式建築」の威容が地元の名物となり、また、昭和時代には医師で歌人の斎藤茂吉が院長を務めていたことでも知られる。