青山 忠門(あおやま ただかど )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三河松平氏の家臣。青山氏は、上野国の出身で、忠門の時に近江国から三河国へ移り、額田郡百々村を領して松平広忠に仕えたという。第二次小豆坂の戦いにも参戦した。広忠死後は一時、今川義元の麾下に入るが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは広忠の子・元康(のちの徳川家康)の寄騎となり、義元死後は元康に帰属する。永禄6年(1563年)、三河一向一揆の際も元康側につき、岡崎城を守備した。死に関しては諸説あり、元亀2年(1571年)武田氏の三河侵攻に際しては良く防戦したが、その時の傷が元で死......
青山 忠門(あおやま ただかど )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三河松平氏の家臣。青山氏は、上野国の出身で、忠門の時に近江国から三河国へ移り、額田郡百々村を領して松平広忠に仕えたという。第二次小豆坂の戦いにも参戦した。広忠死後は一時、今川義元の麾下に入るが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは広忠の子・元康(のちの徳川家康)の寄騎となり、義元死後は元康に帰属する......