青山 忠次(あおやま ただつぐ、天正5年(1577年) - 文禄4年4月19日(1595年5月28日))は、安土桃山時代の人物。父は青山忠成。母は天方通興娘、または新城雅忠娘。弟妹に忠俊、朝比奈泰重、幸成、天方通直、川口近次室がいる。青山忠成の嫡男として誕生したが、家督を継ぐ前に天然痘、或いは肺炎により18歳で夭折した。家督は次弟忠俊が継承し、江戸幕府の開府に伴って青山氏も大名となった。たたつくCategory:戦国武将Category:三河国の人物Category:1577年生Category:1595年没
青山 忠次(あおやま ただつぐ、天正5年(1577年) - 文禄4年4月19日(1595年5月28日))は、安土桃山時代の人物。父は青山忠成。母は天方通興娘、または新城雅忠娘。弟妹に忠俊、朝比奈泰重、幸成、天方通直、川口近次室がいる。青山忠成の嫡男として誕生したが、家督を継ぐ前に天然痘、或いは肺炎により18歳で夭折した。家督は次弟忠俊が継承し、江戸幕府の開府に伴って青山氏も大名と......