雲林院 祐基(うじい すけもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。「雲林院大夫」・「祐尊」も同一人物か。雲林院氏は伊勢国の国人・長野工藤氏の支流。長野工藤氏14代当主・長野稙藤の子として生まれた祐基は、分家である雲林院氏を継承した。織田信長の伊勢侵攻により、永禄11年(1568年)2月に長野工藤氏が信長の実弟・織田信包を養子に迎えることになった際、祐基はそれを認めて臣従した。その後は信長に接近して雲林院氏の存続を図ったが、一方で信包とは対立したため、天正8年(1580年)、居城・雲林院城を奪われて追放された。そのため、婿の矢部家定を頼り、家定の執......
雲林院 祐基(うじい すけもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。「雲林院大夫」・「祐尊」も同一人物か。雲林院氏は伊勢国の国人・長野工藤氏の支流。長野工藤氏14代当主・長野稙藤の子として生まれた祐基は、分家である雲林院氏を継承した。織田信長の伊勢侵攻により、永禄11年(1568年)2月に長野工藤氏が信長の実弟・織田信包を養子に迎えることになった際、祐基はそれを認めて臣従......