陳 宝琛(ちん ほうちん、''Chen Baochen''、1848年 - 1935年)は、清末の官僚・詩人・歴史家。字は伯潜、号は弢庵または陶庵、諡号は文忠。福建省閩県出身。1868年に進士となり、翰林院庶吉士、編修となる。1875年、翰林侍読となり、学士張佩綸、通政使黄体芳、侍郎宝廷と時局を議論するのを好み、「清流四諌」と称された。1881年、翰林院侍講学士となり、『穆宗本紀』の編纂にあたった。1882年、江西学政に任じられ、白鹿洞書院を修築した。1884年、清仏戦争で降格され、帰郷して読書の日々を送るようになった。故郷では先祖が建てた書庫の「賜書楼」......
陳 宝琛(ちん ほうちん、''Chen Baochen''、1848年 - 1935年)は、清末の官僚・詩人・歴史家。字は伯潜、号は弢庵または陶庵、諡号は文忠。福建省閩県出身。1868年に進士となり、翰林院庶吉士、編修となる。1875年、翰林侍読となり、学士張佩綸、通政使黄体芳、侍郎宝廷と時局を議論するのを好み、「清流四諌」と称された。1881年、翰林院侍講学士となり、『穆宗本紀......