陳垣(ちん えん)は清末から中華民国、中華人民共和国にかけて活躍した歴史学者。中国宗教史研究の第一人者とされる。字は援庵青年期は科挙を目標にしたが及第せず、1905年以降は広州で『時事画報』を創刊し、革命思想の宣伝に尽力した。1907年、博済医学院に入学する。1911年の辛亥革命後、1913年には衆議院議員に当選、1921年には、中華民国教育部次長に任命されるが、後に政治腐敗に失望し政界を引退、北京に留寓して歴史研究と教育に従事することとなる。その時期に発表した『元也里可温考』は、宗教史・校勘学・考古学の各方面において等しく評価される名著とされている。19......
陳垣(ちん えん)は清末から中華民国、中華人民共和国にかけて活躍した歴史学者。中国宗教史研究の第一人者とされる。字は援庵青年期は科挙を目標にしたが及第せず、1905年以降は広州で『時事画報』を創刊し、革命思想の宣伝に尽力した。1907年、博済医学院に入学する。1911年の辛亥革命後、1913年には衆議院議員に当選、1921年には、中華民国教育部次長に任命されるが、後に政治腐敗に失......