陳琇(ちん しゅう / 生没年未詳)は、北宋朝の朝臣。福州出身。諱の琇は、莠(ゆう)とも表記された記録も見えるが、正しい表記は「琇」である。彼が生きていた北宋末期は、金の侵攻によって首都である開封が陥落し、国滅の危機から逃れるために朝廷が南遷して南宋を開国する乱世であった。当時朝廷で右尹の官職にあった彼は、一族を率いて高麗に帰化し、以後、現在の忠清北道洪城郡に当たる驪陽縣でその余生を尽くした。彼の孫に当たる(曾孫と記録している文献もある)陳寵厚は、仁宗朝に起きた李資謙の乱を討伐した功で、下位武将から神虎衛大将軍まで昇進し、同時に故郷の驪陽縣の領主に当たる驪......
陳琇(ちん しゅう / 生没年未詳)は、北宋朝の朝臣。福州出身。諱の琇は、莠(ゆう)とも表記された記録も見えるが、正しい表記は「琇」である。彼が生きていた北宋末期は、金の侵攻によって首都である開封が陥落し、国滅の危機から逃れるために朝廷が南遷して南宋を開国する乱世であった。当時朝廷で右尹の官職にあった彼は、一族を率いて高麗に帰化し、以後、現在の忠清北道洪城郡に当たる驪陽縣でその余......