阿野 実藤(あの さねふじ、寛永11年2月15日(1634年3月14日)- 元禄6年9月21日(1694年10月20日))は、江戸時代初期の公家。阿野公業の次男。母は木下勝俊の娘。初名季信。権大納言を辞したのち実藤と改名。円成院と号す。室は高力隆長の娘。子女に阿野実字(長男)、阿野公緒(次男)など。寛文2年(1662年)12月2日、従三位に叙される。その後、正二位権大納言となる。元禄6年(1693年)、「法華経二十八品・和歌集二巻」を著す。さねふしCategory:江戸時代の公家Category:1634年生Category:1693年没
阿野 実藤(あの さねふじ、寛永11年2月15日(1634年3月14日)- 元禄6年9月21日(1694年10月20日))は、江戸時代初期の公家。阿野公業の次男。母は木下勝俊の娘。初名季信。権大納言を辞したのち実藤と改名。円成院と号す。室は高力隆長の娘。子女に阿野実字(長男)、阿野公緒(次男)など。寛文2年(1662年)12月2日、従三位に叙される。その後、正二位権大納言となる。......