阿豺(あさい、? - 426年)は、中国五胡十六国時代に青海地方に蟠踞した吐谷渾の族長で、本姓は鮮卑の慕容氏。兄の樹洛幹が417年に死ぬと、その跡を襲った。自ら驃騎将軍・沙州刺史と号し、周辺の氐・羌族を征服し、大いに版図を広げた。また、南朝宋に朝貢を行い、誼を通じた。宋から澆河公に封じられたが、まだ爵を受けないうちに急病で死去した。阿豺は死の床にあって、後継者として従兄弟にあたる慕璝を指名した。死後、一族の間で争いが起こるのを恐れ、自らの20人の子を呼び寄せると、1人1本ずつの矢を出させた。20本の矢を受け取った阿豺は、そのうち1本を同じく従兄弟である慕利......
阿豺(あさい、? - 426年)は、中国五胡十六国時代に青海地方に蟠踞した吐谷渾の族長で、本姓は鮮卑の慕容氏。兄の樹洛幹が417年に死ぬと、その跡を襲った。自ら驃騎将軍・沙州刺史と号し、周辺の氐・羌族を征服し、大いに版図を広げた。また、南朝宋に朝貢を行い、誼を通じた。宋から澆河公に封じられたが、まだ爵を受けないうちに急病で死去した。阿豺は死の床にあって、後継者として従兄弟にあたる......