長広公主(ちょうこうこうしゅ、生没年不詳)は、中国の唐の高祖李淵の五女。はじめ桂陽公主に封ぜられ、趙慈景に降嫁した。趙慈景は隴西の人で、唐の開化郡公に封じられ、華州刺史となったが、堯君素を討って戦死した。その後公主は楊師道に再嫁した。聡明で詩作を得意とし、豪奢な生活を送って、長寿を全うした。
長広公主(ちょうこうこうしゅ、生没年不詳)は、中国の唐の高祖李淵の五女。はじめ桂陽公主に封ぜられ、趙慈景に降嫁した。趙慈景は隴西の人で、唐の開化郡公に封じられ、華州刺史となったが、堯君素を討って戦死した。その後公主は楊師道に再嫁した。聡明で詩作を得意とし、豪奢な生活を送って、長寿を全うした。