鎌倉 十七(かまくら としち(じゅうしち)、生没年不詳)は鎌倉出身の大相撲力士。寛永頃(1624年-1645年)に活躍。黒柳 左茂右衛門(畔柳)ともいった。身長六尺二寸(188cm)体重三十一貫(121kg)。慶安年間に鳥取藩池田侯の抱え力士となり八人扶持七十石を賜ったという。高原市兵衛星(後市入)咄には鎌倉十七の名の由来について、鎌倉にて名立たる相撲取りを集めて勧進相撲を行った際に本方(地元勢)が大きく勝ち越して寄方(遠征勢)から誰か出るものがいないのかとなった時に寄方の屋形から出て本方の相撲取りを片っ端から片付けてしまった。このとき十七歳だったことから......
鎌倉 十七(かまくら としち(じゅうしち)、生没年不詳)は鎌倉出身の大相撲力士。寛永頃(1624年-1645年)に活躍。黒柳 左茂右衛門(畔柳)ともいった。身長六尺二寸(188cm)体重三十一貫(121kg)。慶安年間に鳥取藩池田侯の抱え力士となり八人扶持七十石を賜ったという。高原市兵衛星(後市入)咄には鎌倉十七の名の由来について、鎌倉にて名立たる相撲取りを集めて勧進相撲を行った......