鍋島茂綱(なべしま しげつな、天正10年9月17日(1582年10月13日) - 承応3年12月4日(1655年1月11日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。龍造寺氏、鍋島氏の家臣。第21代佐賀藩武雄領主(武雄領は佐賀藩の自治領)。文献では鍋島若狭の名で呼ばれることが多い。後藤家信の子で、鍋島姓を賜るまでは、後藤姓、龍造寺姓、武雄姓を名乗っていた時期もある。
鍋島茂綱(なべしま しげつな、天正10年9月17日(1582年10月13日) - 承応3年12月4日(1655年1月11日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。龍造寺氏、鍋島氏の家臣。第21代佐賀藩武雄領主(武雄領は佐賀藩の自治領)。文献では鍋島若狭の名で呼ばれることが多い。後藤家信の子で、鍋島姓を賜るまでは、後藤姓、龍造寺姓、武雄姓を名乗っていた時期もある。