鍋島 茂周(なべしま しげちか、天正18年(1590年)2月5日 - 承応元年(1652年)6月20日)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。龍造寺氏、鍋島氏の家臣。第3代佐賀藩須古領主。通称は因幡。龍造寺信昭の子で、鍋島姓を賜るまでは龍造寺姓を名乗る。寛永3年(1626年)に信昭の隠居により家督を相続する。この頃に佐賀藩主鍋島勝茂より鍋島姓を賜る。島原の乱に佐賀藩の軍勢のうち800人を率いて参加している。承応元年(1652年)死去。享年63。
鍋島 茂周(なべしま しげちか、天正18年(1590年)2月5日 - 承応元年(1652年)6月20日)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。龍造寺氏、鍋島氏の家臣。第3代佐賀藩須古領主。通称は因幡。龍造寺信昭の子で、鍋島姓を賜るまでは龍造寺姓を名乗る。寛永3年(1626年)に信昭の隠居により家督を相続する。この頃に佐賀藩主鍋島勝茂より鍋島姓を賜る。島原の乱に佐賀藩の軍......