鉄鉉(てつげん、1366年 - 1402年)は、明朝の重臣。字は鼎石(ていせき)。鄧州(河南省鄧州市)の出身。国士監に学び、その後は司法官である都督府断事(裁判官)に任じられて朱元璋の信任を得た。1399年(建文元年)に発生した靖難の変では建文帝を支持したが、当初は文官として山東参政に任じられていたため戦闘には参加していない。しかし李景隆が燕軍に白溝河の戦いで敗北すると義勇軍を結成し、臨邑から済南(いずれも現在の山東省)で抗戦している。特に済南城の戦いでは燕軍の水攻めに苦戦したが、城兵を偽降させて朱棣を城門近くに誘い出し、城壁から鉄板を落としあるいは橋を火......
鉄鉉(てつげん、1366年 - 1402年)は、明朝の重臣。字は鼎石(ていせき)。鄧州(河南省鄧州市)の出身。国士監に学び、その後は司法官である都督府断事(裁判官)に任じられて朱元璋の信任を得た。1399年(建文元年)に発生した靖難の変では建文帝を支持したが、当初は文官として山東参政に任じられていたため戦闘には参加していない。しかし李景隆が燕軍に白溝河の戦いで敗北すると義勇軍を結......