鈴木 重辰(すずき しげとき、慶長12年(1607年) - 寛文10年10月2日(1670年11月14日))は、江戸時代前期の幕臣。三河鈴木氏支流・則定鈴木家の鈴木正三の子。鈴木重成の養子。伊兵衛。法名は紹賢。子に重昌。鈴木正三の長男であるが、父は出家し甥の重長を養子にして家を継がせたため、重辰は叔父の重成の養子となり、のちに分家して一家を興した。寛永9年(1632年)、大番役。のちに御倉奉行、京都御所造営役をつとめる。寛永14年(1637年)、重辰とともに島原の乱に出陣。その後、養父重成は天草に留まり、のちに初代天草代官となった。承応2年(1653年)、......
鈴木 重辰(すずき しげとき、慶長12年(1607年) - 寛文10年10月2日(1670年11月14日))は、江戸時代前期の幕臣。三河鈴木氏支流・則定鈴木家の鈴木正三の子。鈴木重成の養子。伊兵衛。法名は紹賢。子に重昌。鈴木正三の長男であるが、父は出家し甥の重長を養子にして家を継がせたため、重辰は叔父の重成の養子となり、のちに分家して一家を興した。寛永9年(1632年)、大番役。......