鈴木 重時(すずき しげとき、享禄元年(1528年)? − 永禄12年2月5日(1569年2月20日))は、戦国時代の武将。三河鈴木氏酒呑系、鈴木重勝の子。鈴木重好の父。通称、三郎大夫。正室は奥山因幡守の娘。永禄11年(1568年)、遠州への侵攻を画策する徳川家康に加担した娘婿・菅沼忠久から今川離反の誘いを受け、承諾。これに近藤康用も加わった3人が井伊谷三人衆と呼ばれる事となる。その家康による遠州制圧戦は同11年末から行われ、徳川軍は遠州で越年。曳馬城攻略を最優先としていたため、浜名湖沿岸の諸城攻略が後回しとなっていた。同12年(1569年)、家康の下命を......
鈴木 重時(すずき しげとき、享禄元年(1528年)? − 永禄12年2月5日(1569年2月20日))は、戦国時代の武将。三河鈴木氏酒呑系、鈴木重勝の子。鈴木重好の父。通称、三郎大夫。正室は奥山因幡守の娘。永禄11年(1568年)、遠州への侵攻を画策する徳川家康に加担した娘婿・菅沼忠久から今川離反の誘いを受け、承諾。これに近藤康用も加わった3人が井伊谷三人衆と呼ばれる事となる。......