鈴木 忠重(すずき ただしげ、天正2年(1574年) - 万治元年10月19日(1658年11月14日))は、松代藩家老。真田氏家臣の名胡桃城主鈴木重則の子。通称は右近。幼名は小太郎。号は閑斎。16歳の時、上野名胡桃城が北条家臣で沼田城主猪俣邦憲に奪われ、父・重則が自害した名胡桃事件の際には、母とともに北条氏に捕われる。城から解放された後は真田昌幸に引き取られその家臣となった。19歳の時に出奔、その際に柳生宗章と出会い、弟子となった。また柳生の庄で柳生宗厳にも剣を学んだと言う。7年間漂泊の後に帰参したが、関ヶ原の戦いの前後に再度出奔した。理由はよくわからな......
鈴木 忠重(すずき ただしげ、天正2年(1574年) - 万治元年10月19日(1658年11月14日))は、松代藩家老。真田氏家臣の名胡桃城主鈴木重則の子。通称は右近。幼名は小太郎。号は閑斎。16歳の時、上野名胡桃城が北条家臣で沼田城主猪俣邦憲に奪われ、父・重則が自害した名胡桃事件の際には、母とともに北条氏に捕われる。城から解放された後は真田昌幸に引き取られその家臣となった。1......