金田蜂起(きんでんほうき)は洪秀全に率いられた太平天国が広西省桂平県金田村で行った武装蜂起である。1843年、洪秀全は馮雲山・洪仁玕とともに広東省花県で拝上帝教を組織し、翌年春から広西省で民衆に布教活動を行った。洪秀全は広東省に戻って宗教理論の構築に専念したが、馮雲山は広西省の奥深くの紫荊山地区に入り、群衆を組織して拝上帝会にまとめあげた。拝上帝会には楊秀清・蕭朝貴らが参加し、指導部を形成していった。1849年前後の広西省は連年の天災に見舞われ、天地会の蜂起があいついで蜂起の機は熟していった。1850年7月、洪秀全は総動員令を出し、金田村に信徒を集め、隊伍......
金田蜂起(きんでんほうき)は洪秀全に率いられた太平天国が広西省桂平県金田村で行った武装蜂起である。1843年、洪秀全は馮雲山・洪仁玕とともに広東省花県で拝上帝教を組織し、翌年春から広西省で民衆に布教活動を行った。洪秀全は広東省に戻って宗教理論の構築に専念したが、馮雲山は広西省の奥深くの紫荊山地区に入り、群衆を組織して拝上帝会にまとめあげた。拝上帝会には楊秀清・蕭朝貴らが参加し、指......