金 尊楷(きん そんかい)は、上野焼および高田焼の基礎を築いたとされる朝鮮陶工の1人である。文禄の役の際、朝鮮の泗川十時地方(現在の泗川市)から加藤清正に従って日本に来る。唐津に落ち着いた後、本国に帰って高麗青磁の技法を会得して再び来日。1602年、茶道に造詣が深く利休七哲の1人としても名高い豊前小倉藩主細川忠興(三斎)に招かれ、豊前国田川郡上野に窯を開き、名を上野喜蔵高国(あがのきぞうたかくに)と改めた。以後30年余の間、この地で忠興好みの格調高い作品作りに携わったが、忠興・忠利父子の肥後転封に従い、長男の忠兵衛・三男の藤四郎とともに肥後国八代郡高田(こ......
金 尊楷(きん そんかい)は、上野焼および高田焼の基礎を築いたとされる朝鮮陶工の1人である。文禄の役の際、朝鮮の泗川十時地方(現在の泗川市)から加藤清正に従って日本に来る。唐津に落ち着いた後、本国に帰って高麗青磁の技法を会得して再び来日。1602年、茶道に造詣が深く利休七哲の1人としても名高い豊前小倉藩主細川忠興(三斎)に招かれ、豊前国田川郡上野に窯を開き、名を上野喜蔵高国(あが......