野口 一成(のぐち かずしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、筑前国福岡藩士。黒田二十四騎の一人。通称は左助、藤九郎。永禄2年(1559年)、播磨国加古郡野口で、教信寺の僧・浄金の子として生まれる。浄金は黒田孝高と親しく、囲碁仲間でもあった。天正3年(1575年)、元服して黒田氏の家臣となる。天正5年(1577年)の高倉山城攻めでは、神吉小伝次を討ち取った。天正8年(1580年)の三木合戦、天正15年(1587年)の財部城攻めなどでも戦功を挙げる。天正16年(1588年)の城井鎮房暗殺の際にはその家臣を7人斬り伏せており、その功績から黒田長......
野口 一成(のぐち かずしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、筑前国福岡藩士。黒田二十四騎の一人。通称は左助、藤九郎。永禄2年(1559年)、播磨国加古郡野口で、教信寺の僧・浄金の子として生まれる。浄金は黒田孝高と親しく、囲碁仲間でもあった。天正3年(1575年)、元服して黒田氏の家臣となる。天正5年(1577年)の高倉山城攻めでは、神吉小伝次を討ち取った。天正8......