酒井 忠良(さかい ただよし)は、出羽松山藩7代藩主。左衛門尉酒井家分家7代。6代藩主・酒井忠方の長男。弘化2年(1845年)10月20日、父の隠居により跡を継いだ。戊辰戦争では本家の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦った。しかし明治元年(1868年)9月に降伏する。同年12月7日、幕府側に与した処罰として2万5,000石から2,500石を召し上げられて2万2,500石となり、12月15日には家督を三男・忠匡に譲った上で強制隠居処分に処せられた。明治17年(1884年)10月1日、54歳で死去した。*07Category:幕末の大名たたよしC......
酒井 忠良(さかい ただよし)は、出羽松山藩7代藩主。左衛門尉酒井家分家7代。6代藩主・酒井忠方の長男。弘化2年(1845年)10月20日、父の隠居により跡を継いだ。戊辰戦争では本家の庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦った。しかし明治元年(1868年)9月に降伏する。同年12月7日、幕府側に与した処罰として2万5,000石から2,500石を召し上げられて2万2,50......