酒井 忠得(さかい ただえ、元文3年(1738年) - 宝暦5年2月19日(1755年3月31日))は、上野前橋藩(のち播磨姫路藩)の世嗣。前橋藩9代藩主(のち姫路初代藩主)・酒井忠恭の次男。母は榊原政邦の娘。官位は従四位下、河内守。当時上野前橋藩主だった忠恭の嫡子として生まれ、延享4年(1747年)に徳川家重に御目見する。宝暦2年(1752年)には叙任されたが、家督を継ぐことなく宝暦5年(1755年)に18歳で早世した。代わって、弟の忠宜が嫡子となった。Category:江戸時代の大名の嫡男Category:前橋藩の人物Category:姫路藩の人物たた......
酒井 忠得(さかい ただえ、元文3年(1738年) - 宝暦5年2月19日(1755年3月31日))は、上野前橋藩(のち播磨姫路藩)の世嗣。前橋藩9代藩主(のち姫路初代藩主)・酒井忠恭の次男。母は榊原政邦の娘。官位は従四位下、河内守。当時上野前橋藩主だった忠恭の嫡子として生まれ、延享4年(1747年)に徳川家重に御目見する。宝暦2年(1752年)には叙任されたが、家督を継ぐことな......