那須 資持(なす すけもち、康応元年/元中6年(1389年)- 応仁元年9月13日(1467年10月11日))は室町時代後期の武将。下野の戦国大名下那須氏当主。那須資重の子。那須資実、興野持隆の父。太郎。越後守。烏山城城主。父の代で分裂した上那須氏の那須氏資と対立したが、決着はつかなかった。親鎌倉公方路線を継承し、永享の乱においては鎌倉公方足利持氏を支持し、享徳の乱においては持氏の子である鎌倉公方(のち古河公方)足利成氏に味方し上杉氏、宇都宮氏と抗争した。家督は子の資実が継承し、また次男の持隆は分家して興野氏をおこした。すけもちCategory:室町時代の......
那須 資持(なす すけもち、康応元年/元中6年(1389年)- 応仁元年9月13日(1467年10月11日))は室町時代後期の武将。下野の戦国大名下那須氏当主。那須資重の子。那須資実、興野持隆の父。太郎。越後守。烏山城城主。父の代で分裂した上那須氏の那須氏資と対立したが、決着はつかなかった。親鎌倉公方路線を継承し、永享の乱においては鎌倉公方足利持氏を支持し、享徳の乱においては持氏......