画像引用元: upload.wikimedia.org遠藤胤俊
推定知名度0.02%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
遠藤 胤俊(えんどう たねとし、天文15年(1546年) - 元亀元年11月26日(1570年12月23日))は、戦国時代の武将。美濃国郡上郡木越城主。紀四郎、新右衛門、大隅守。遠藤胤縁の長男。胤縁が永禄2年(1559年)8月1日に、東常慶の嫡男常堯に暗殺されたため、若年で後を継ぎ、当初は存命だった祖父の胤好が後見したとも見られる。同年同月、叔父の盛数が東氏を滅ぼして八幡城主となり、胤俊は永禄年間(1558年 - 1570年)に郡上郡西北の地を分与された。永禄5年(1562年)、盛数が死去して子の慶隆が13歳で後を継ぐと、胤俊は永禄7年(1564年)に竹中重治が稲葉山城を奪取したのに乗じて、八幡城を攻め取った。しかし、慶隆が苅安城(現郡上市美並町)に入って抗戦し、翌永禄8年(1564年)に継父長井道利の援軍を得ると、胤俊は慶隆と和睦し、八幡城を返却した永禄10年(1567年)に織田信長が稲葉山城を陥落させると、宗家(慶隆)と共に信長に従ったと見られる。同年11月には、坂井政尚の下で慶隆と堅田を守備していたが、11月26日に浅井・朝倉軍に攻められ、政尚ともども討死した(志賀の陣)。
過去の推移
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