道弁(どうべん・道遍、嘉応元年(1169年)-没年不詳)は、鎌倉時代初期の御家人・浄土宗僧侶。俗名は渋谷 七郎(石川とも、諱不詳)。相模国大庭御厨石川郷の出身と伝えられるが、記録上石川郷があったのは、隣の渋谷荘であったこと、渋谷荘の支配者である渋谷重国の子重助の子孫が「石川氏」と名乗ったとされていることから、道弁も渋谷荘石川郷の渋谷氏(石川氏)の一員であったと見られている。初めは鎌倉幕府の御家人であったが、建久4年(1193年)に熊谷直実が法然の許で出家したという話を知って、上洛して法然に弟子入りして出家した。この時25歳であったという(『円光大師行状画図......
道弁(どうべん・道遍、嘉応元年(1169年)-没年不詳)は、鎌倉時代初期の御家人・浄土宗僧侶。俗名は渋谷 七郎(石川とも、諱不詳)。相模国大庭御厨石川郷の出身と伝えられるが、記録上石川郷があったのは、隣の渋谷荘であったこと、渋谷荘の支配者である渋谷重国の子重助の子孫が「石川氏」と名乗ったとされていることから、道弁も渋谷荘石川郷の渋谷氏(石川氏)の一員であったと見られている。初めは......