近衛 家久(このえ いえひさ、貞享4年5月8日(1687年6月17日) - 元文2年8月17日(1737年9月11日))は、江戸時代中期の公家・公卿、関白、太政大臣、准三宮。父は近衛家熙。母は霊元天皇第二皇女の憲子内親王。伯母に近衛熙子(6代将軍徳川家宣御台所)。正室は島津綱貴の娘・亀姫、継室は島津吉貴の娘・満君。子に近衛内前、転陵院(尾張藩第9代藩主徳川宗睦正室)、宝蓮院(田安徳川家初代当主徳川宗武正室)。如是観院と号す。元禄8(1695年)に従三位に叙され、公卿となる。享保11年(1726年)から元文元年(1736年)まで関白並びに藤氏長者を務めた。享......
近衛 家久(このえ いえひさ、貞享4年5月8日(1687年6月17日) - 元文2年8月17日(1737年9月11日))は、江戸時代中期の公家・公卿、関白、太政大臣、准三宮。父は近衛家熙。母は霊元天皇第二皇女の憲子内親王。伯母に近衛熙子(6代将軍徳川家宣御台所)。正室は島津綱貴の娘・亀姫、継室は島津吉貴の娘・満君。子に近衛内前、転陵院(尾張藩第9代藩主徳川宗睦正室)、宝蓮院(田安......