近藤 茂左衛門(こんどう もざえもん、寛政11年11月8日(1799年12月4日) - 明治12年(1879年)6月6日)は、幕末の志士。諱は弘方。楽平斎、道林と号した。信濃国松本城下で名主を務める近藤弘美の家に生まれる。生家は旧藩主水野氏の松本入封に従い、寛永19年(1642年)以来、同地で飛脚問屋、麻問屋、醸造や薬舗を生業としており、江戸では祖父の代から水戸藩邸の用達も務めていた。幼い頃から学問に励み、弟の貞一郎とともに出雲の神官中村守臣や、その師匠にあたる香川景樹に国学や和歌を学んだ。母は伊那郡の旗本(伊那衆)座光寺氏の家老堀尾直賢の三女で、貞一郎は......
近藤 茂左衛門(こんどう もざえもん、寛政11年11月8日(1799年12月4日) - 明治12年(1879年)6月6日)は、幕末の志士。諱は弘方。楽平斎、道林と号した。信濃国松本城下で名主を務める近藤弘美の家に生まれる。生家は旧藩主水野氏の松本入封に従い、寛永19年(1642年)以来、同地で飛脚問屋、麻問屋、醸造や薬舗を生業としており、江戸では祖父の代から水戸藩邸の用達も務めて......