足代 弘訓(あじろ ひろのり、天明4年11月26日 - 安政3年11月5日())は、日本の江戸時代後期の国学者、歌人。号は寛居(ぬたい)。通称は式部・権太夫。父は伊勢外宮祠官足代弘早。伊勢国の人。伊勢内宮の荒木田久老に国学を学び、久老の没後は本居春庭・本居大平の門に入った。伊勢国山田の鈴屋の師道者とし活躍した。京阪や江戸に出て多くの文人と交流している。神宮内では祠官の堕落に対して弊風を粛清する運動を展開、天保の大飢饉に際しては窮民救済の運動を行った。幕末期には、多くの志士と交流し、一方で弟子の教育にあたった。門下に正住弘美、志田義貫、生川正香、白井重固、渡......
足代 弘訓(あじろ ひろのり、天明4年11月26日 - 安政3年11月5日())は、日本の江戸時代後期の国学者、歌人。号は寛居(ぬたい)。通称は式部・権太夫。父は伊勢外宮祠官足代弘早。伊勢国の人。伊勢内宮の荒木田久老に国学を学び、久老の没後は本居春庭・本居大平の門に入った。伊勢国山田の鈴屋の師道者とし活躍した。京阪や江戸に出て多くの文人と交流している。神宮内では祠官の堕落に対して......