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赤松則房

推定知名度0.67%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

赤松 則房(あかまつ のりふさ、永禄2年(1559年) - 慶長3年7月17日(1598年8月18日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。一時、満政とも名乗った。室町時代に播磨国の守護を務めた赤松氏の当主。父は赤松義祐。子に則英、赤松左兵衛広範。孫は高野山赤松院の住職、筑前黒田藩の家臣になるなどしたという。戦国時代には衰退した赤松氏であったが、則房は旧守護としての権威を利用し、播磨において一定の影響力を保持していたという。織田信長の命を受けた羽柴秀吉率いる中国方面軍が侵攻して来ると降伏し、秀吉の家臣となった。天正11年(1583年)には賤ヶ岳の戦いに参陣する。以後も小牧・長久手の戦いや四国攻め、朝鮮出兵に参陣し、秀吉から播磨置塩と阿波国住吉にそれぞれ1万石を与えられた。慶長3年(1598年)、死去。

過去の推移